住人

 

「地獄はあると思う?」

 

「ほら、よく小さい子にさ、悪い事をすると地獄に落ちるよって言うだろ?

例えば本当に誰かがいつも監視していて

一挙一動、一言一句が地獄の道へと進めているのだとしたら、僕はもう何が悪か分からないんだよ。

だってそうだろ?

こうやって噛みきれないステーキを君と食べてるわけだけど、美味しくないねなんて言うのも気が引けたりさ。

君は僕の様子がおかしいからってこうやって外へ連れ出してくれたけれど

君にそんな心配をさせて、さらには労力を使わせてる。

極端だって笑うなよ。

でも突き詰めていったらそう思うだろ?」

 

「全てのことには善の面と悪の面がある。

人道に悖らない限りは善だって誰が決めたんだろうな?

衝動を何とか抑え込んでやり過ごしていたとしても、僕らは何かしらの罪を犯してる。

でも大概の人間がそれを分かってないんだ。

きっとみんな地獄に行くさ。」

 

「自覚があるかどうかだって?

うんそうだな

あれだろ、動物は食欲を満たすために赤ん坊を食らっても、それは生存するために本能のまま行動してるだけだから悪では無い、とかな。

でもそれってそこに悪意がなければ悪では無いってことだろ?

人間には当てはまらないさ。

だって僕らには知能も感情もあるからね。」

大人になるには

「自分の短所を自覚し、改善を試みる」

 

当分はこれを念頭に置き、日々を無為に過ごさないよう

少しづつでも努力していこう。

 

私の短所を書き出していく

 

・自分をよく見せようとする

・自分本位である

・自身の痛みにばかり目がいく

・他人を大事に出来ない、自分第一である

・やってみたい事から逃げている

・いやにプライドが高い

・自分の考えや価値観が正しいと思っている

・人を馬鹿にして自分の心を守っている

・精神面が不安定である

 

つまりは性格が悪く、心の弱い人間だ、ということだ

 

ここから抜け出せるのだろうか。

早く大人になりたい。

 

先日、友人に「さっさと30代になりたい」と言ったことがあったが

彼女は「さっさと歳を取ってしまったら空っぽな大人になりそうじゃない?

しっかりと歳を重ねて深みのある30代になりたいな。どうせならね。」

とさらっと返してしきた。自分を恥ずかしく思った。

 

それでも様々な色々をすっ飛ばして大人になりたいと

考えてしまうのは私が弱いからだろうか。

 

生きるとは面倒である。

 

 

弱い人間

こんなにも

優しい人たちに恵まれて

これまでのどんな時よりも

幸せであるはずなのに

 

なんで満たされないのだろうか

 

過去が手招きしているように

私はいつも行ったり来たりしていて

 

楽しくてたくさん笑った日の帰り道も

終わりにしたいという考えが頭を支配する

 

これは誰のせいでもなくて

私自身の弱さのせい

 

きっとそんな勇気もないから

どうせ大丈夫だと思うけれど

それでも葛藤して生きてて

絶対に無いとも言い切れない

 

たとえ私が決断したとしても

それは逃げただけだから

誰かが負い目を感じる必要はない

 

最低なことだとわかっている

それでも私には救いに思えるのだ

 

 

 

 

 

保身

自分が安全圏にいると分かった時

渦中の隣人を尻目に

肩を撫で下ろしてしまった

 

その隣人は

いつかの自分と同じであったのに

 

手を差し伸べるのが難しいと思うのは

保身のため?

 

人に寄り添うには

余裕がなさ過ぎて

自分のことしか見えてなくて

誰かのために出来ることなんてない

 

私の気付かぬ所で

私に傷付けられている人は

どれだけいるんだろう

 

私の見て見ぬふりは

きっと知っていて

分かっていて

その上で笑って

許してくれているのだろうか

 

私はいつまでも子供のままだ

 

 

 

 

優しさ

 

思っていたよりも

自分のことしか見えていなくて

それは興味がないからなのか

一杯一杯になっているからなのか

 

誰かが言ってくれた言葉だったり

私のために取ってくれた行動を

飲み込んで、じっくり咀嚼しないと

その優しさに気付けないのだ

 

今まで気付けなかった優しさが沢山あって

それなのに"満たされない"だなんて

自分勝手過ぎるのにも程がある

 

果たして私は誰かに

本当に優しく出来たことがあったのだろうか

いつだって

自分の事しか考えていなかったのではないか

 

人に優しくすると、自分の為にもなる

 

自分の為になるから、人に優しくする

 

私の優しさは自分の為?

これは偽善というのだろうか?

偽善でも、両者が良い思いをしているんなら

それでいいじゃないか

そう思ってきたけれど

誰かの優しさに気付いた時に

己の未熟さと卑しさに打ちのめされるのは

どうすればいいのか

 

本当の優しさを

誰かに与えることが出来るだろうか

 

道のり

 

今日も失敗した

「人の顔色を窺い過ぎるのをやめよう作戦」

 

まあ大失敗で、落ち込んでしまったけど

何年もこの性格で生きてきたんだから

そりゃ数日じゃ変わるわけないよなと

言い聞かせて自分を慰めている

まずは、心折れないように

 

私は人に嫌われたくない

 

何故こんなにも人の感情を読もうとするのか

波を立てぬようにと抑制してしまうのか

それはきっと

「自分の価値は人によって決められる」

と思い込んでいる為なのではないか?

 

評価はされども、価値が変わることはないし

そもそも、価値など、皆対等であり

私の価値は私自身が決められるものである

 

そう分かっていても

この考えは私の奥の奥底

深くに絡みついていて

簡単には解けそうにない

 

ただ、疲れてしまった

 

このままでは良くないな、と思った

まともに人と付き合えなくなる

 

今が、成長できる

最後のチャンスなのではないか?

 

疲れ切ってしまった時に

私はきっと

大事な人をも切り捨ててしまう

疲れすぎて、まともに思考できず

何を大切にしたいのかも

分からなくなってしまう

 

今、一緒にいてくれている人達を

私は大切にしたい

傷付けたくない

大好きな人達と共に歩んでいきたい

この気持ちを忘れてはいけない

 

まだこの作戦は始まったばかりで

成功するかも分からない

それでも模索し続けなければならない

なんども失敗し続けなければならない

 

自分を愛する為に

大切な人を愛する為に

 

 

これから

 

自分を深掘りするために

気付いたことやら、悩みやら

考えをまとめていきたい

 

"考える“を癖にしたいから

 

考えるということは突き詰めていくこと?

何故?を繰り返し問うていくこと?

いくつもの可能性を想像すること?

 

私は自分を知りたい

自分で一杯一杯なのはもうやめにしたい

 

少しづつ 少しづつ